復興へ
今日もこの件を理解しようといろいろなブログを読んでみた。しかし読めば読むほど分からなくなってしまった。
荒巻課長には「理解だと?理解なんてものは概ね願望に基づくものだ。」と言われることだろう。
それでもなんとか今日中に結論のようなものを書いておこうとブログを書き始めてみた。
わたしは、最初に読んだfujiponさんのブログに大きく影響されていた。そこには「テキスト庵は閉鎖的になっていった。その原因は・・・。」というようなことが書かれており、わたしはこの考えのもとにいろいろなブログへ飛んだのだ。
多くのブログを読み、常連さんとそうでない人々が存在し、そこには馴れ合いがあった、ということを信じるようになっていった。つまり最初から自分が信じたいものを信じようとしていたのだ。
しかし、常連さんとそうでない人々がいたかどうかや馴れ合いがあったのかなかったのか、などという目には見えない、形にするのも難しい雰囲気だけで判断を下すのはまずい、と思い、改めてそれまで読んで心に残ったブログを再読していった。
確かに、ピーチクパーチク騒いでいたスズメちゃんたち、という厳しい表現で常連さんたちを叩くものもあったし、前述した閉鎖的云々からその理由を説明していくブログもあった。ただそれは主観によるものが大きく、誤解が生まれやすい。
結局、そのような雰囲気を感じる場はもはや存在していないのだから、常連云々などの非難は書き手を信頼するしかない。だからそういう意見もあったことだけを頭に入れておくことにした。
次にこの件の発端になったことを考えてみた。
しかしいくら考えても、残念、という思いしか浮かんでこない。
「テキスト庵閉鎖についての雑感」というブログに自分の考えと近いことが書かれていたので引用させてもらう。
やってしまった事はもう仕方ない。あとは誠意なる謝罪と、身内なればこその処分、そして改善策。それを打ち出して欲しかった。今回こういう事を起こしてしまい申し訳ありませんでした。被害者とは誠心誠意対応させていただきます。つきましてはこうした違反を起こしましたので、このサイトは除名処分し、一切テキスト庵と関わらせないようにします。また再発防止としましては〜……とあるべきだろう。
この対応であれば、ここまでこじれなかったのではないだろうか?、とわたしは簡単に考えてしまう。もちろん、そんな単純なことじゃないのだろう。しかし、事件直後にしっかりとした対応を取っていれば、とどうしても考えてしまうのだ。
ジャーナリストの上杉隆がよく言っている。「人は誰でも失敗する。失敗したら謝ればいい。」「日本社会は失敗に寛容じゃない。」
うーん。何を言いたいのかわからなくなってしまった。
最後に、fujipon2さんのツイートを引用させてもらう。
終わるものは、終わるべきときに、終わっておくべきなのだと思う。それが、すぐには受け入れがたいものであったとしても。
惜しむ気持ちは分かるけど、終わっておくべきなのだ、という考えに同意する。一旦終わりにして、新たにスタートさせるしか復興への道はないと思う。
フェアウェル、テキスト庵!
追記
今回の事件で、本性をむき出しにしてしまい、株を下げた人が見受けられた。危機に人は本性を表す、というのは絶対的真理になったような気がする。